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黒田辰秋
Kuroda Tatsuaki
1904-1982
京都の塗師屋の家に生まれる。幼少期から家業を手伝い、十代半ばに漆芸の道を志したとき、下地から加飾、仕上げまでを一貫して手掛けることを決意した。 それまで分業制により職人的に制作にあたっていた工芸家が一人の芸術家としての意識を持ち全ての工程を自ら手掛けるようになっていったことは当時の潮流でもあり、工芸の近代化の一つと言える。特定の師につくことのなかった辰秋だが、伝統の厚みと恵まれた交友関係に育まれ、特に河井寬次郎や柳宗悦との出会いから、昭和初年には初期民藝運動の一翼を担う。過去の作例に学びながら独創性を開花させた昭和10年代から20 年代。30年代から40年代にかけては、日本伝統工芸展を舞台に拭漆の木工芸を完成させるとともに、耀貝と名付けられたメキシコ鮑を用いた作品において独自の境地に達した。
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